ジコカイジ

self-disclosure‐‐‐乳がんのこと、仕事のこと、生き方のことを書いていくchisa/千祥のブログ。

抗がん剤をしないという選択をしたKさんのこと。

Kさんとの出会いは2001年のこと。慶應の近藤誠外来でのことだった。

 

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同じ日に近藤外来で初診を受け、手術をするためにA医師のいるO病院へ回された。手術は私が一日先に受け、放射線もほぼ同日から慶應で開始した。温存手術、放射線と、本当にほぼ同一の治療を受けた。抗がん剤を除いては。

 

Kさんはとてもふんわりとした、柔らかい印象を与える素敵な奥様だった。某劇団に首席で入団、活躍したご自慢の一人娘と旦那様との三人暮らし。家族のために栄養士の資格も取られて、家族思いの良き母、良き妻として過ごしてきた人だった。

 

Kさんは手術前から、抗がん剤はしないと決めていた。特に言及することはなかったが聞かれれば、私は抗がん剤しないのよー、とにこにこしながら答えた。その理由も声高に言うことはなかったが、抗がん剤をしない理由は、脱毛したくないからだ。

 

Kさんは、脱毛するのが絶対にいやなの!みたいな、悲壮感漂うような叫びもせず、ただ抗がん剤はしない、ときっぱりと決めていた。それはなにがあっても揺るがなかった。

 

Kさんはその後、ホルモン療法は受けることにした。その度に通院するのは面倒なので、大阪で処方してくれる病院を紹介されていた。それからは近藤外来でのフォローアップでお目にかかるのだが、やはり、なんでやろ?なんでウチがんになったんやろ?と私に聞くことは変わらなかった。フォローアップに私が行かなくなっても、Kさんは折に触れて連絡してくれ、引っ越しをしたときはお祝いを贈ってくださったりした。

 

それから数年後、春が終わるころだった。今年も家族でお花見に行きました、と写真付きのハガキが送られてきた。Kさんは髪をふんわりとカールさせ、メイクもきちんとして、ほほ笑んでいる。色白のKさんに赤い口紅が映えていた。そしてその年、Kさんは亡くなった。

 

私はKさんが再発したのを知らなかった。いつ再発したか、そして治療をしたのかどうかも知らされていなかった。そもそも最初の手術前からすでに、脱毛するのが嫌だから抗がん剤をしない、と静かに固く決めていたKさんのことだ。再発したときにどうするのかも、きっと決めていたんだろう。

 

髪が抜けるのが嫌だから抗がん剤をしない。髪なんかどうせ生えてくるんだからとか、髪と命とどっちが大事?とか、たくさんの人に言われた。Kさんは乳がんとわかったとき、どのように手術するかどうか迷っていたら、胸なんかとっちゃえばいいじゃないか!と旦那さんから言われたそうだ。驚いたわあ、男の人はそんな風に考えるんやねえ。と笑って話していたが、そんな選択はKさんにとっては笑って一蹴するしかないことだった。Kさんは、美意識の人なのである。手術も、そのあとの治療も、Kさんの美しい生活を損なうものは退けるしかないのである。

 

近藤誠のところで治療して生きている人に初めて会った、とよく言われる私。たしかにKさんは術後5年ほどで亡くなった。でも近藤誠医師の口車に乗って、抗がん剤をしなかったわけではない。A医師と話し合う時間も十分にあったし、入院時に知り合った私を含め数人と抗がん剤について語り合うこともあった。Kさん以外は全員抗がん剤を選択したから、考え直す機会はあった。決して近藤誠に騙されて、抗がん剤をしなかったわけではない。

 

近藤誠医師に騙されたと言う人は、死が目の前に現れたときに後悔するから騙されたと思うわけだ。でもKさんはそうではない。最初から美意識と命を自分の中で天秤にかけ、どちらが大事か?と問われたとき美意識。と答える人だったのだ。

 

それはおかしい!間違っている!というのは簡単だ。でも私はKさんの選択を支持する。Kさんは誰にも文句を言わず、すべてを自分で選択しただけなのである。

 

そして脱毛についてもっと積極的に防ぐ方法があれば、Kさんも抗がん剤をえらんだかもしれないと、思う。抗がん剤治療に対するイメージを変えることができるのに。


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