ジコカイジ

self-disclosure‐‐‐乳がんのこと、仕事のこと、生き方のことを書いていくchisa/千祥のブログ。

私のがん保険が消えた日

嫌な予感。

 

私が20歳になったばかりの頃だった。帰宅すると、母と母の古くからの友人Yさんがいた。私が帰るや否やいきなり母が、あんた印鑑持ってきなさいよ、と言う。は?なんの話よ?いつものことながら、母は話の起点をはしょるので、印鑑持ってきて、の意味が全くわからない。 

 

話しを聞いてみると、母の旧友のYさんは、保険外交員だという。私がまだ生命保険に加入していないことを知り、勧誘しにきたのではない。母はすでにYさんに私が保険に加入することを約束していた。私になんの説明も、ことわりもなく、申込書類は用意されて、あとは私が印鑑を押すだけになっていた。嫌な予感しかしない。

 

私は抵抗した。たしかに生命保険には入ろうとは思う。ただ、何の下調べもしていない。自分の納得できる内容、信頼できる保険会社の商品に入りたいと精一杯抵抗した。

 

しかし母の懇願、いや攻撃は手を緩めない。ちーちゃんお願いよお願いよ。Yさんに無駄足させるわけにいかないじゃないの。あんたのためを思ってママ、お願いしてるのよ。

 

泣く子と地頭には勝てないなんてもんじゃない。私が抵抗すればするほど、お願いよお願いよちーちゃんあなたのためを思って言ってるの。お願いよ。どんなに振りほどいても泣きついてくる。壊れたレコードか。

 

根負けして渋々、契約書に印鑑を押す。おめでとうございます、これではじめての財産ができましたよとYさんが微笑む。一連の茶番を馬鹿馬鹿しく思ったが、ひと月の保険料は5千円程度であり、がんと診断されたら100万円が支払われるがん特約も付いていたから、まあよしとした。

 

1999年から2000年までイギリスでふらふら遊んで帰ってきた私は、家を離れ独立していた。帰国後なかなか就職先が決まらずに、バイトでギリギリの生活を送っていた。

 

保険会社倒産。私の保険が消えた。

 

その頃、保険会社倒産のニュースが相次いでいたのを覚えているだろうか。2000年のことだ。私が加入していた保険会社も破綻、倒産した。

 

すぐさまYさんに連絡をした。私が加入した保険はどうなるのですか? 保障はどうなるのですか? おそらく一日中そんな電話ばかりかかってきては、責められていたのだろう。Yさんの言葉は思いがけないものだった。そんなこと知らないわよ!恨むなら加入させたお母さんを恨むことね! 電話は切れた。おめでとうございます、これではじめての財産ができましたよとあなたはにこやかに笑いかけたではないか。では私は財産を失ったのか?言おうと思っていたことを言う間もなく切られてしまった。

 

その話しを母に報告すると、こんなことになってしまって…ごめんなさい…でもちーちゃんのためを思って、良かれと思って…良かれと思って…としおれている。

 

母が良かれと思ってしてくれたことが、私や妹を救うことはほとんどなかった。良かれと思って、というのは私や妹の利益だけを考えてのことではなく、多くは人にいい顔をしたいときに、ダシに使うからである。この保険に無理やり加入させたのも、友人のYさんの成績を助け、いい顔をしたかったからなのだ。

 

その保険会社は外資系保険会社に買収されたのち、保険商品の引き継ぎをしますよ、という書面が郵送されていたらしい。その書面は母のいる自宅に送られて、そのままにされた。私が気がついたときにはすでに引き継ぎ期間は終了していた。どこまでもタイミングが合わない。

 

そして2001年、私は乳がんになった。無保険だった。治療費と生活費は貯蓄を崩して支払ったが、住民税や年金などは支払う能力がなかった。はじめて免除を申請した。

 

母はかわいそうな人である。私に責められ怒られ、しかしそのときの母は事業は傾き、私を援助したくてもできない状態だった。

 

秋になり、幸運にも仕事を得た。病み上がりで勤まるのか不安だったけれど、生活を立て直すことができることの希望や、喜びのほうが大きかった。救われた気持ちだった。

 

 

お金がすべてではないけれど、経済的余裕が人生の困難を何割か減らす。

 

なぜか、母が離婚したときにことを想い出した。

 

離婚後、祖父母が私たち親子の家に頻繁に来てくれるようになったときのことだ。毎回何か手土産を持ってやってくる。あるときお米を数キロ持ってきたとき、離婚して傷ついている娘に米持ってくるなんてどうかしているわ!普通はお花でも持ってくるものよ!と母は叫んだ。その後祖父が切り花を手土産に来ると、お花じゃ生活できないのよ!お父さんなんでわかってくれないのよ!と叫ぶ。花を持ってこいと言われてそうしたのに怒鳴られて、祖父母はお気の毒だ。しかし母の真意を本当はわかっていたのに、あえて汲まない方向を選択していたのか?とも、いまは思う。 早い話が、つまり母は、祖父母からの経済的な援助を欲していた。しかし祖父母はそれを無視していたのだ。

 

私は母に援助を求めたことはない。でもこれから手術入院、抗がん剤治療と進み、仕事もない、お金もないというときの心細さ、やるせなさはなんともいえないものだ。離婚後、小さな子供をふたり抱えた母の心細さと比較できるものかわからないが。

 

経済的な余裕があるだけで、人の困難のすべては無理だが何割かは減らすことができるのだと、4歳の私は結論を得た。

 

がん保険はかけ捨てでもよいので加入をおすすめする。また、何年かに一度保障内容の確認を。商品開発はどんどん進んでおり、もっと良い条件や内容のものも出てくる。いま自分が入っているものから乗り換えることも考慮してほしい。必ず自分で調べ、熟考し、納得してから加入すること。

 

 

 

保険会社の方とタッグして、こんなお話をしてみたいです。

ご興味のある方は、mumthewords@gmail.com へご一報ください。

 

 

 

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