ジコカイジ

self-disclosure‐‐‐乳がんのこと、仕事のこと、生き方のことを書いていくchisa/千祥のブログ。

乳房温存療法を広めた、ふたつの乳がん患者会の終焉 

特定のがん種だけの患者会から、がん種を超えた会へ

 

今朝ネットニュースを見ていたら、目に入ってきたこの記事。毎日新聞2018年9月25日東京朝刊に掲載されたものらしい。

mainichi.jp

 

あけぼの会は1978年創設された、おそらく乳がん患者会でも古参の部類の患者会である。乳がん患者のための相談会や勉強会、講演、ピンクリボン運動への協力など、乳がん患者会の最大勢力だったと思う。その会長を勤められたワット隆子さんが、あけぼの会を勇退されるのだという。

 

しかしこの20年ほどの間に、多くの患者やグループが設立された。これまで患者会というと、がん種に限定したものが多かったが、近年ではがん種を超えて会を結成し、活動するものが増えている。

 

私も参加したがんサバイバースピーキングセミナーの主催は、NPO法人キャンサーネットジャパン。あらゆるがん種のサバイバーが集まり活動している。(もちろん、個別のがん種に絞っての勉強会なども盛んにおこなわれている)。自分とは異なるがん種の人と知り合い、お互いの体験を語り合うと、治療法や経過はまったく異なっているのに、抱える問題や悩みは同じであることを発見し共感でき、助け合うことができる喜びがある。心やすらぐ時間を持つことができる。

 

私がこれまで患者会やグループに距離を置いていた理由

 

私がこれまで、患者会には距離を置いていたのは、私が乳房温存療法で手術したからである。2001年当時、まだ乳房温存療法は黎明期を迎えていたばかりであった。温存術自体は急速に広まっていたが、まだ温存することへの偏見(大きく切ったほうが再発しない、生存率が高まる)があった。

 

うちでも温存手術できますよ、と医師が言ったとしても、その医師もしくは病院や医局が取る温存法が、くりぬき法か扇状に皮膚ごと切り取るものかによって侵襲性も整容性も異なる。だから、患者が考える温存とはまるで違った仕上がりになってしまうこともあったし、いや、きっといまでもあるんだと思う。

 

以前、大阪から逃げてきたKさんの話を書いたけれど、彼女はまさにそれ。温存療法だから大丈夫、と言われ、手術間際になって、扇状に皮膚ごと切り取られると知り、近藤誠医師のもとに逃げてきたのである。あ、それ私もだった(笑)

 

exgirlfriend.hatenablog.com

 

放射線治療は、慶應放射線科に通ったのだけど、ここでちょっとしたイザコザが起こることがあった。慶應の外科で手術した乳がん患者と、私たち、近藤誠と愉快な仲間たちのもとで手術した乳がん患者が、長い長い待ち時間のあいだに、親しく話し込んでしまうときに、私たちが温存手術をしたことにおよぶと、え?胸って残せるの?あなたの胸は残っているの?と聞かれるのだ。そのときの気まずさ。私の話ではないが、温存できたかもしれないと泣きだす人もいたそうだ。

 

で、そんなこんなを話しているときである。慶應で手術した患者さんに、患者会に入りたいなー、あけぼの会とかどうかなー?と軽い気持ちで聞いてみた。するとその人は、私はあけぼの会には向いていないというのである。どうやらワット会長は、近藤誠と犬猿の仲であり、温存療法をした患者に厳しく、全摘をした患者さんたちに温存の話をしてはいけない、と言われているらしいのだ。

 

これは全くの伝聞で、確かめるすべはなかったし、なによりすっかり気分が萎えた。そして、患者会に距離を置いておいた方が面倒くさくなくてよい、という結論に達した。

 

ソレイユとイデアフォー、ふたつの患者会の終焉

 

とはいえ、私がどこの患者会とも接触しなかったわけではない。ソレイユとイデアフォー、このふたつの乳がん患者会には、電話相談などでお世話になった。

 

温存療法を受けた患者は、あけぼの会では歓迎されないという伝聞は、どうやらソレイユの会長だった中村道子さんの体験から来ているようだと知ったのは、ずいぶん後のことである。

 

村道子さんはそもそもあけぼの会で活動されていたが、温存療法の勉強会を企画し近藤誠医師を招聘したところ、あけぼの会を除名させられた、という事件があったのだそうだ。それが先ほどの伝聞の元となったわけである。それが1988年のこと。近藤誠医師に限らず、あらゆる立場、主張を持つ医師をおよびし情報収集や勉強を怠らない姿勢を貫かれていたが、2013年に活動は終わられている。

 

そのいきさつを中村さんが語られている記事。

社団法人 仏教情報センター テレフォン相談

 

 

イデアフォーも、2018年8月いっぱいで活動を終えた。イデアフォーは、乳房温存療法を広めたこと、また、患者も常に最新の研究情報をキャッチアップしていくことを推奨していたのが新鮮だった。本気で乳がんのことを学び、そこで得た知見を患者に還元していくという強い意志があった。

 

ただここ数年、患者会の在り方が変わってきていることは事実である。マギーズ東京、暮らしの保健室、元ちゃんハウスなど、がん種を問わず、また、患者のみならず、患者の家族や友人まで視野に入れた活動し、場を提供するグループが増えている。門がより広く開けられており、とても自由で、安心感を与えてくれる。時代が、本当に変わったんだなという思いである。

 

ソレイユもイデアフォーも、どちらの患者会も活動を終えた。治療に迷う乳がん患者のために情報を提供し、応援し続けてくれたことには感謝しかない。2001年、まだがん患者であることをカミングアウトできなかった私にとっては、唯一、自分の知りたいこと、悩んでいることをぶつけられる場所だったことは、これからも忘れることはない。

 

 

 

笑顔が可愛らしい中村道子さんのインタビュー記事。

www.cocolotus.com

 

2018年8月いっぱいで活動を終えられたイデアフォーのサイト。

まだ見ることができる。

www.ideafour.org

 

少し古いですが、患者会についての考察論文です。

「医療施設内における乳がん患者会の存在と役割」2003年

https://researchmap.jp/?action=cv_download_main&upload_id=79966

 

あけぼの会

あけぼの会- HOME

 

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