ジコカイジ

self-disclosure‐‐‐乳がんのこと、仕事のこと、生き方のことを書いていくchisa/千祥のブログ。

朝日新聞の記事「がんとうまく付き合う」を読んで

Facebookのタイムラインに、この記事が流れてきた。

 

www.asahi.com

 

身近な人ががんとわかったとき、家族や友人、職場など、どのように思ったか、対処したかのアンケートをまとめたものだ。

 

私自身は2001年、最初の乳がんのときは基本的に家族以外には知らせなかったが、今回は仕事先や友人など周囲にはがんであることを伝えた。カミングアウトすることで、細々とだが仕事をすることもできた。

 

だが、時折、非言語のレベルで「もうこれ以上あなたの病気の話は聞かないぞ」というオーラというか、あ、私いまシャットアウトされていると感じることもあった。家族や友人の心に負担をかけているのだという事実を突きつけられた。

 

家族や友人のメンタルヘルスのための「淡い」

 

大須賀覚先生とは、Facebook上でやりとりさせていただいているのだが、あるときのFB上でのやりとりをご自身のブログにまとめられているので紹介したいと思う。

 

satoru-blog.com

 

ここで私は亡くなった妹の例を出した。大須賀先生のブログから引用。

 

側に居て、耳を傾ける。これに尽きると思います。亡妹はがん性髄膜炎と分かってすぐ余命1か月と告げられ、本当に1か月で逝きました。余命を告げられたことを近しい友人に話すと、あきらめちゃダメ、頑張れ、と励ましてくれましたが、それまで周囲の励ましを感謝して受け入れていた妹が、そんなこと言ってほしいのではない、ただ受け入れてほしいのだ、と初めて怒ったことを思い出しました。

 

 

妹は、ただ黙って受け入れてほしいと言っていた。それはいまとなっては、まったく尤もな意見なのだが、その後FBに緩和ケア医の西智弘先生のコメントがアップされた。

これも大須賀先生ブログから引用する。

 

私は、医療のトレーニングを受けていない人が、「ただ耳を傾ける」ということは難しく危険なことと思っています。自ら自発的にそれを行える方ならいいのですが、医療者が「そうすればいい、自分はそうしている」とアドバイスして実行させるなら、その人の心が壊れてしまうリスクを考慮しなければなりません。
一般の方が「何かしてあげたい」と思うのは、自分の心を護るためという一面があります。つらく悲しい思いをただ耳を傾けて受け止めるというのは相当のストレスです。だから、それを「何かをしてあげた」ということで患者に返すことで、自分の心が壊れることから防衛しています。安易な励ましやアドバイスにはこういった側面があります。なので、この関係性は患者・友人のどちらも不幸になりうる構図になっていると考えています。
なので、友人に「耳を傾けさせる」なら、その友人を心理的負担から解放する仕掛けと一緒である必要があると思っています。それこそが医療者ができるケアだと思います。

 

 

この西先生のご意見は、目を開かれたような気がした。家族や友人の心を壊してしまうかもしれない、という危険性は全く考えていなかったのだ。

 

短期間に両親を亡くした友人が、深く突っ込んで話をしないことがお互いの思いやりだと言っていたのだが、そうなのかもしれない。でもがんの治療、その後の心身の回復には時間がかかるため、はっきりとできるできない、困っていることなどを伝えないと困ること事態も起こる。その「淡さ」の加減が難しい。

 

患者会への参加や、専門家のカウンセリングを受けるとか、あえて「家族や友人を巻き込まない」という意識も必要かもしれない。

 

患者は、命の問題を突き付けられ、治療中には心身のダメージを受け、心と体の回復は同時ではなく時差が生じる。そのとき、どう過ごすかが、私の人間力を試されているような気がしている。とりあえずいまは落第。

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