ジコカイジ

self-disclosure‐‐‐乳がんのこと、仕事のこと、生き方のことを書いていく。

中嶋、抗がん剤中に太ったってよ

 

体重計に乗らんでもわかっている。

中嶋、抗がん剤中に太ったってよ。

 

梅雨寒である。外出時、半袖では心もとなく、長袖のシャツにパンツにジレを合わせてみる。それでも少々肌寒さを感じるほど。でもウイッグをかぶっている現在、これくらい涼しいと助かる。

 

長袖にパンツ、ジレといういで立ちだと、体のラインが出ないところがよい。なんといっても抗がん剤治療中から現在まで、体重は増加するばかりで減る兆候を見せないのである。これから本格的な日本の夏が来るというに。薄着の季節の到来が恨めしい。

 

抗がん剤投与期間中、

体は拒絶と弛緩を行ったり来たりする。

 

昨年8月から11月にかけて行ったEC療法の副作用は、私にとってはかなりのダメージがあり、投与から1週間以上、悪心頭痛が続き、食事をするのが困難であった。その間は果物やヨーグルト、ゼリーなど冷たくて甘みのあるものや、スープやみそ汁などの液体物を中心に口にしていたため、確かに体重は減った。しかし痩せたというよりげっそりといった感じが近い。

 

投与から1週間を過ぎると、少しずつ食欲が戻ってくる。食べられる量は以前より落ちているが、普通に食事ができることが嬉しい時期である。抗がん剤投与→インターバル→抗がん剤投与→インターバル……というのを繰り返していると、ふと気づくのである。中嶋、抗がん剤中に太ったってよ、と。

 

食事を摂れる摂れないを置いておいても、結局ほとんど外出もせず、これまで続けていた運動も全くできず、とにかく日常の運動量が極端に減った結果、太るのだ。そして治療後、少しづつ生活に運動を取り入れても、頑として体重は減らないし、筋肉はブヨブヨのままで愕然とする。半年の生活の結果が体形に出るのだ。

 

今回、抗がん剤をするかどうか、本気で迷った理由。

 

17年前乳がんを経験し、再発もせず過ごせたのは標準治療のおかげだということは理解している。有難い限りである。しかし2回目の乳がんとなる今回、実は本気で抗がん剤をするか否か、迷った時期があった。

 

前回、治療が終わってから、自分の体の回復にこんなに時間がかかるのか、と暗澹たる気持ちになることがあった。やはり前回も体重のコントロールに苦慮していたのだった。運動しても、半身浴しても、体重は減らず、顔も体もパンパン。体調やボディイメージが手術前に戻ったと感じるようになるまで、5年近くかかったと思う。

 

 

 

 

 

治療が終わってから2年後の、2003年の写真。今見ても死にそう。

 

顔のむくみ半端ないって。パンパンにむくんで、女子プロレスラーみたい。

♪ビューティビューティ(ペア!)♪ と思わず口ずさんでしまう。このころは、顔や脚のむくみに悩まされていた。

 

心と体の回復には時間が必要だった。

 

ラッキーなことに、編集者としての仕事が、私の気持ちを奮い立たせてくれていた。私にとっては宝物のような仕事だったから、どんなに無理をしても構わなかった。気持ちにはいつも緊張感があった。それががんの不安をかき消してくれていた。

 

この写真から3年ほど経過すると、むくみがおさまっていった。がんのこともほとんど忘れて生活できるようにもなっていた。心と体は少しずつ日常に戻っていく。緩やかに回復していくんだなあと、しみじみ思っていた。

 

だから今回も、これはいつか来た道…なのだ。17年前は、情熱を傾けられる仕事が私を回復に導いてくれた。今回は、色々なものをそぎ落としていったら、書くということが残った。17年前の若さはないが、馬鹿さはある。書くことに情熱を注いでいこうと思う。

 

そして入らないパンツやスカートを横目に、いやいや、心の回復も、体の回復も、時間がかかるんだ。あと数年すれば、シューーッと空気の抜けた風船みたいにしぼんでいく……ことを願っている。

 

 

抗がん剤 #EC療法 #むくみ 

 

 

ゼロ・リセットという考え方を学んでみた

一体なんのブログだかわからなくなってきたが、

ゼロ・リセットを学んできた。

 

ゼロ・リセットってご存知?

時計じゃないよ。ゼロ・リセットという概念というか、方法のことである。

 

あわわわ。あなたの仕事は幸せになることです、というのは、ゼロリセットの創始者、中川角司さんのサイトである。マザーシップという、スピリチュアル系のセミナーを開催する活動をされている。

 

私が中川さんやゼロ・リセットを知ったのは、2017年の8月ごろだったと思う。

 

2017年6月に2度目の乳がんになったとき、初回治療してくれたA医師のところで、フツーに標準治療すると決めていた。だが、それとは別に、私の心を支えるなにかがほしいと思っていた矢先のことである。

Facebookで知り合いから流れてくる投稿の中に、下野誠一郎さんという方が目に留まった。この方は出版エージェントとして大変有名な方で、

 

「アウト・オン・ア・リム」や、

アウト・オン・ア・リム (角川文庫)

アウト・オン・ア・リム (角川文庫)

 

 

アルケミスト」や、

 

アルケミスト 夢を旅した少年 (角川文庫)

アルケミスト 夢を旅した少年 (角川文庫)

 

 

独立されてからも「ザ・シークレット」

ザ・シークレット

ザ・シークレット

 

 

などなど、誰もが知っているメガヒットがいくつもある凄い人なのだが、その下野さんが、当時神保町でほぼ毎日のように瞑想会をしているというので俄然興味を持ち、ノコノコと瞑想会に参加したのであった。

 

下野さんのブログ 自然

現在は八ヶ岳在住で、日本全国で瞑想会を開き、行脚されている。

ameblo.jp

 

下野さんの瞑想会は、瞑想のみならず。瞑想以外にもダウジングしてみたり、ライトボディ活性化というのをしてみたり、盛りだくさん。その後参加者みんなでランチを食べに行ったりして、瞑想会というよりも下野さんを囲む会、と言ったほうが近い(笑)。しかし不満なわけではない。こんなにオープンマインドな人がいるんだ、という驚きと、そういう人と知り合いになれたことが、とても楽しかった。友達もできたし。

 

で、2017年の夏以降、下野さんが突然、ゼロ・リセットが凄い!これは画期的だ!とFacebookやブログで盛り上がりだした。どうやら中川さんという方がゼロ・リセット講習会というのを開き、教えているという。下野さん界隈以外でも、ゼロリセットが凄いらしい(笑)と各所で祭りが勃発し、講習会はいつでも満員。興味があってもなかなかトライできない状態が、現在まで続いているのだった。

 

なにが凄いのかといえば、

心の機序が理解やすい形に言語化されていること。

 

ゼロ・リセットとは、ネガティブな感情やわだかまり、トラウマなど、出来事から生まれた感情系の思いを消す、という技法のことである。

 

その方法はここでは書けないけれど、技法自体は本当に簡単だ。まず自分のネガティブな感情を分解し、確認したのちに、中川さんが考案した簡単な方法で解消する作業をするだけである。

 

また最近は、セルフノウイングという、自分で自分の問題を洗い出す方法も合わせて受講するようになっていて、問題の洗い出し(セルフノウイング)と解決方法(ゼロ・リセット)が一度に学べる。

 

で、これの何がすごいのかといえば、解決方法がシンプルなこともさることながら、心の動きが非常にわかりやすく分解されていること、つまり心の機序が理解しやすい形で示されていることなのである。

 

セルフクリーニング系のメソッドの中でも
特に優れていると思う点

 

私見であるが、これはセルフクリーニング系の考え方・メソッドなのだと思う。世界には、さまざまなセルフクリーニング法がある。マインドフルネスを含む瞑想やヨガ、座禅なども広義のセルフクリーニングだろうし、またホ・オポノポノ、セドナ・メソッドなどのニューエイジ系などなど、バラエティ豊かである。

 

その中でも、ホ・オポノポノはいまだに人気が高い。私の周りでも実践している人は結構いるし、私もこの考え方には共感できる部分がある。今、目の前で起きている現実は100%すべてが自分の記憶(潜在意識)が現実化したものである」という考えのもと、悪いことも良いことも自分の記憶はすべてクリーニングしていくと、問題は解決していくというメソッドである。やり方は簡単で、ありがとう、ゆるしてください、ごめんなさい、愛しています、という4つの言葉をくり返し唱えることなのだ。

 

この4つの言葉を言うだけというシンプルさと、この方法で心の平安を得たり、成功体験をしている人達も結構いて(道端ジェシカとか)、それが人気のゆえんではあるのだけど、勘どころのいい人にはつかめるのかもしれないが、この4つの言葉を唱え、それがどのように自分のネガティブな感情に作用していくのかが、フツーの人には実感しにくいし、それがなぜ効果的に働くのかが理解しづらい。

 

ゼロ・リセットは、なにが自分のネガティブな感情の源流なのかを考え、それを分解していくところから始める。その感情が表出する心の機序の説明があり、それからクリーニングするという流れを取るために、いきなり100%実感は無理だとしても、自分の心の状態を内観するところから始めるので、この一連の流れにすでに自浄作用が含まれているため、実感を得やすい。

 

また、スピリチュアルなものに抵抗のある人、まったく知識のない人にも受け入れられやすく、わかりやすいのもいいところ。

 

ホ・オポノポノやってみたけどなんだかとか、瞑想やマインドフルネスを生活に取り入れているけど心がモヤモヤしているとか、心を整えたり、軽くしたりすることに取り組んでるけど、うまくいかないという人にお勧めしたい。

 

で、これを中川さんではなく、中川さんの元でインストラクターとなった、まつながかおりさんという方から教わった。私はまだ習ったばかりだから、どうなるかわからないが、とても有意義な学びだったと思う。どうも有難うまつながかおりさん。

 

ご興味がある方はこちらへどうぞ ↓↓↓

とても可愛らしい、はつらつとした女性です。

 

ameblo.jp

 

#ゼロ・リセット #中川角司 #まつながかおり #下野誠一郎

加藤諦三に言い当てられる愉悦/テレフォン人生相談

テレフォン人生相談の中毒性を誘発する光源

相談歴約40年の加藤諦三

 

最近、テレフォン人生相談にハマっている、という声が周囲から聞こえてくるようになった。広めている成果があがっているようである。シメシメ。

 

youtubeにあまたアップされていることからもわかるように、明らかにテレフォン人生相談には中毒性がある。テレフォン人生相談の正確な開始日というのはわからないらしいが*1、約40年間もの間、続いてきただけありすでにひとつの様式を作っていると言っていいほど、構成が練り上げられていることがこの番組の魅力である。大迫恵美子、中川潤、大原敬子、三石由起子など、敏腕アドバイザーの存在が、番組を盛り立てていることは確かだが、この様式を作ったと言えるだろう加藤諦三の存在を忘れることはできない。加藤諦三こそ、テレフォン人生相談の中毒性を誘発する光源なのである。

 

加藤諦三のクロージングはもはや伝統芸といえるだろう。

 

相談者はまず、パーソナリティーである加藤諦三に相談内容を聴きとられ、大迫恵美子などのアドバイザーに引き渡される。ここでグゥの根も出ないほど相談者の隠された本心を引き出され諭される、のが番組のメインイベントである。

 

残り時間約5分ほどになると、パーソナリティーに戻される。そこでは、アドバイザーからの諭旨を元に、それぞれのパーソナリティーらしいクロージングが行われる。今井通子なら、アドバイザーにコテンパンにやられた相談者により現実に即したアドバイスを与え、ドリアン助川なら傷ついた心をふんわりと包むような言葉で抱きしめてくれる。では加藤諦三はどうか。

 

マドモアゼル・愛先生がいいお話し聞かせてくれたねぇ……とか、今日の大原先生のお話しはまったくその通り……など、アドバイザーの仕事を称えたあと、加藤諦三は心理学的アプローチで相談者を射るのである。

 

敵対的依存心、外化…

加藤諦三に言い当てられるという、カタルシス

 

二十年以上前に妻に不倫されたことを根に持ち復讐したいという夫に対して、それは敵対的依存心のあらわれ(敵意のもとには依存心があるという考え)であり、自分の心を精査してそれを認めよと迫る。

 

妻の不倫に感づいているがどうしたらいいのかわからない夫には、現実を通して自分の心の中の願いを見ているから(これを外化という)、外化の結果、虚無感と依存心が増大するため、覚悟を決めて現実と向き合えば、一気に解決する、と諭す。

 

相談者の多くは、自分の悩み、相談内容の本質を理解していない。加藤諦三は相談者の内面を解きほぐし、言語化し、その心理状態を敵対的依存心や外化や、ナルシシズムと名付け、相談者はそれに驚き、受け入れる。心がねじれた理由を言い当てられ、名付けられるという一連の作業が、相談者にそしてリスナーにカタルシスをもたらすのである。

 

リスナーに与えられる意外なる普遍性

 

世の中にはたくさんの人がいて、あらゆる悩みがあることを、あらためてテレフォン人生相談で知る。そんなことってあり? マジか?というような数奇な人生に苦しんでいる相談者の話は、一見、私の生活から遠く思える。

 

しかし、そんなことあり得ない! と思うような相談の中に、私の内面に投げかけてくる問いがあり、それを私の心に再度問うと、意外な作用をすることが多々ある。

 

外化していた自分からの決別

 

外化、という概念は私にも有効だった。私が抱えていたここ数年の仕事や人間関係などの問題は、外化で説明がつく。私は、私の願望にアジャストした形に現実を変えたいとずっと思っていた。そのための努力は惜しまなかった。しかし、それはあくまで私の狭量な視点でのことであった。私は、私の願望に適う形でしか努力しなかった。その努力はすればするほど、周囲の人達からは奇妙に見えたに違いない。私はまずこの現実を憎んでいた。憎んでいるからこそ、努力した。そして願望が実現化しないことをさらに憎んだ。

 

私に必要だったのは、憎しみでも、終わらない努力でもない。まず置かれたリアルな現実を認めることだった。まず願望と相反する現実を受け入れて、ちっぽけでアホな自分を認める必要があったのだ。

 

願望は願望として置いておこうと思う。その前にこのダメな私にいま、できることをやろうと思う。そこからもう一度始めようと思ったのだ。外化していた自分の内面から決別したいと。現実を見る。そして逃げないと。

 

 

www.youtube.com

 

加藤諦三 #テレフォン人生相談 #大迫恵美子

*1:wikipediaの「加藤諦三」によると1970年代前半としかわかっていないという

インド占星術に行ってみた②

そして2017年、久しぶりにインド占星術に行ったのだ。

 

10年前、驚愕の的中率に腰を抜かし、ハマってしまったインド占星術。2017年、久しぶりに行ってみようと思ったのは、人間関係や仕事に行き詰ってしまったからだ。いま思い返せば、本当にバカバカしい。自分のバカさ加減に呆れる。2017年5月はその行き詰まりからくる焦燥のひとつのピークで、占いに行きまくったのである(ひつこい)。

 

今回は、かねてより注目していたS先生の鑑定を受けることにした。

 

まず、チャートが合っているのかどうかの確認。

 

S先生とははじめまして、なので、やはりチャートの確認をするところから始める。

 

お母さんがエキセントリックというか暴力的でしたか? はい。。。

お父さんの仕事は保険とか不動産業ですか? そうです。

妹さんがいますね? はいいます。

妹さんは亡くなっていますか? はい。

これまでにx回引っ越しをしましたか? しました。

大学での専攻は文学などですか? そうです。

20代後半に外資系の会社で働いていましたか? いました。

 

10年前にXさんに観てもらったときと同じ質問や、またさらに新たなこと、たとえば、暴力的な被害に合いやすいということ、妹が早死したこと、などが明らかになった。

 

しかし今回最も傑作だった質問はこれ。

 

17歳のとき、演劇をしていましたか?

 

である。これには驚いた。していましたので!

どうしてこういうことがわかるのか、インド占星術の興味深いところである。

 

しかし、チャートとは異なる人生を歩んでいる。

 

このとき、私が本当に知りたかったのは、今後の仕事についての流れであったり、人間関係のことであったのだが、どうやらここ数年の私の人生は、チャートに表れている象意とはまるで異なる動きをしているということなのだ。これにはS先生も頭を抱えた。出生時間をいくつか検討してみたが、どうしても合わない。引き続き検討する必要がある、ということでタイムアップとなった。

 

自分でも思う。占い好きだから、何かあればそこに行動の指針を求めるけれど、確かにここ数年は全く異なる動きをしていることに気が付いていたから。占いは参考にはなるが、すでに私の人生には必要ないのかもしれない。

 

まさかこの1か月後、またがんになることはチャートには表れておらず、なにか危機が迫っているよ、と注意を促してくれたのは四柱推命のO先生だけだったのだけど。

 

exgirlfriend.hatenablog.com

 

でも、インド占星術の、その精度の高さはすごいと思う。

 

S先生の鑑定は一度受けてみる価値はある。ブログで紹介することの許可を受けていないので、連絡先などは控えるけれど、ご連絡いただければ紹介します。

 

 

#インド占星術

驚愕のインド占星術にも行ってみた①

2017年は混迷を極めて、占いに行きまくったわけです。

 

2017年の混迷、迷走ぶりについての詳細はここでは触れない。あわあわしまくった。
そのあわあわぶりについては、四柱推命のO先生のところに行ったところに少々書いてあるので、そちらを見て頂ければと思う。

 

exgirlfriend.hatenablog.com

 

4月あたりから私の思いと裏腹に、外部の状況が突然乖離しはじめて、大パニックに陥ったのであった。万策尽きて、頼ったのが占いに行くことであった。私にとって占いに行く、というのは非常に能動的な行動である。占ってみて、どう対処するか、どういう手段が残されているのかないのか、実施するのに良いタイミングはあるのかないのかを知り、事態を好転させたいという、大変ポジティブな行動のひとつなのである。

 

2008年、インド占星術との驚愕の出会い

 

私がインド占星術に出会ったのは約10年ほど前、2008年頃のことである。これまであらゆる占いに行ったきたけれど、インド流の?占星術というものがある、というのを知り、俄然興味が沸き、早速鑑定してくれる先生を発見し、その鑑定内容に驚愕したのだった。

 

インド占星術は、生年月日、生まれた正確な時間(これは絶対必要)、場所(東京都xx区くらいまでは必要)から導き出される占星術である。星座名などは西洋占星術と共通だが、まるで別物と考えた方が良い。

 

このとき観てくれたXさんは、西洋占星術から出発し、インド占星術に出会って衝撃を受け研究し始めたという方だった。私の生年月日/時間、場所を伝え、そこからチャートを作成し、読み解くのに1週間以上はかかるという。

 

セッションはまず、このチャートが本当に私の人生を表しているのかどうかの検証から始まるので、事前にこれまでの人生で起こった大きなイベント、学校に入った年や、引っ越しをした時期、その他恋愛や結婚、離婚、家族の出来事などをメモしてくるように言われたので、ざっくりしたものを準備した。

 

なぜそれを…?誰にも話したことのない出来事を言い当てられる

 

まずチャートを見ながら、Xさんから私に質問が浴びせられる。

 

妹さんがいますね? います。

お父さんの仕事は保険や不動産を扱う仕事ですか? そうです。

子供の頃は習い事をたくさんしましたか? しました。

お母さんはエキセントリックな人ですか? そうですw

20代後半に外資系の会社で働いたことがありますね? あります。

 

と、こんな調子で、思ってみない質問がじゃんじゃん浴びせられ、それがまた合っているのである。そして、このセッションで最も驚いた質問が、

 

7歳から9歳ぐらいまで、監獄に入っていましたか?

 

という質問であった。

 

監獄…? 7歳は監獄に入らないと思うのですが…?と内心面白くなってしまったのだが、この人が何を言っているのか意図がわからなかったので、聞き返す。

 

監獄ってなに?

 

ええと、監獄というかですね、親や兄弟から離されて、隔離された場所にいたのではないか?ということを聞いています。

 

と言うのである。私の答えは、はいそうです。であった。私は小学2年生から5年生になるまで、首都圏にある施設に預けられていたのである。ちなみに私が家庭の事情で施設に預けられていたことは家族だけの秘密であって、本当に近しい人にしか話したことはなく、生年月日など、インド占星術に必要な情報しか渡していないのだ。

これらの質問を繰り返して、このチャートは私の人生を表しているということが検証されて、今後の人生に起きるであろうことが読み解かれていく。

 

閑話休題。いま思ったのだが、これって昔流行った、アガスティアの葉っていうやつもそうですよね。アガスティアの葉のある館に行って、指紋取られて、質問一杯されて、出てくる葉っぱに書かれてあるのが自分の人生だっていうやつ。

10年ほど前の私のインタレストは、主に仕事についてであった。この時の鑑定によれば、どうやら私が求めている方向や成果は、得られないようであった。それよりも、私がしなければならないことがあり、そういうカルマ(!)なのである、とのことであった。

 

カルマって言われてもなあ。ポリポリ。なのであったが、過去の出来事をじゃんじゃん当てられ、かつ、家族だけの秘密であったことを当てられたため、インド占星術への信頼は絶大なものとなったのである。

 

と、ここまでが2008年頃の話で、昨年はこの時とは異なる先生に観てもらったのだが、ここでもまた、なぜそれを知っているの???ということを当てられたのだ。恐るべしインド占星術


#インド占星術 #占い

 

四柱推命O先生の確度は高い。

乳がんワンスモアとなって1年となるわけだが。

 

早いものでもう6月に突入である。2018年も半分は終わった。一体なにしてたんだろ?と思うけど、4月までは放射線治療していたから、今年のほとんどは治療に費やしていたんだなあ。でも、これからこれから。

 

去年、右乳房にがんが見つかってから、もう1年経つのだ。忘れもしない。2017年5月の最終日曜日。ベッドの中で、なんとなく気まぐれに、胸にシコリがないかを確かめてみる気になったのだった。2001年に治療した左胸をまず確認し、右胸に手を滑らしてみた。すると外側の下部にしこりがあったのだ。昨年の検診ではなんにもなかったのに、しっかりとした固さのしこりが。

 

翌朝一番で病院に予約を取り、検査を受けて一発で乳がん確定したのだが、あーやっぱり占いのO先生すごいわ。本当にすごい。あの時O先生が言っていたのはこれか、と改めてその技量、確度に感服したのだ。

 

あらゆる意味で損失を経験した2017年

 

2017年という年は、2度目の乳がんになったことだけではなく、あらゆる意味で私の大切にしていたもの、執着していたものを手放すことになった、損失を経験した年として記憶することになると思う。

 

そういう1年になる予感は全くなかった。1月は修士論文を提出し、内容も評価も満足するものになった。その勢いで博士課程の試験もなんとか突破した。そこまではよかった。いま思えばなのだけど、4月からの流れがおかしかった。

 

2017年は、仕事を勢いに乗せたいと切望していた。ライターとしてもっと前に出るんだという意気込みがあった。今までとは違うフィールド、やり方を求めて、そのためにはなんでもやってやる!とどこまでも前向きな構えであった。それが3月までの流れ。

 

4月に入ると、途端にその流れがよどみ出す。私がこの心機一転に寄せて、頼りにしていた人やモノが、ある日突然なんの前触れもなしに、私から遠ざかって行ったのだ。私はパニックになり、朝も昼も夜も、そのことだけを考えていた。考えても答えが出ないとき、誰に相談してもラチがあかないとき、私ができることは占いに行くことしかなかった。

 

千葉県某市の四柱推命のO先生のところへ行く

 

子供のころから占いが好きだった。自分の人生が少しでも良いものであってほしいと子供ながらに思っていた。 あらゆる占いに行った。インド占星術(これもある意味すごい精度を誇る)、西洋占星術、タロット、ルノルマンカード(これもなかなか素晴らしいものがある)、預言カフェ(ある意味これも奥が深い)などなど、そもそもが占い好きのため、ひとたび何かあれば占いに行く。

 

ということで、O先生のところにももちろん行く。O先生とはかれこれ10年近くなるお付き合いだ。某ブランドPRのお姉さまから紹介されたのがご縁のはじまり。今回も散々他の占いに行ったけれど、やはりO先生の意見も聞いておきたかった。

 

電話予約する際に、改めて私の名前、生年月日、わかれば生まれた時間までお伝えすると、O先生が四柱推命の命式(星占いでいうところのチャート)を作成し、予約日までに読み解いておいてくれるのだ。予約日は5月半ばだったと思う。お久しぶりですと挨拶もそこそこに、今回まず私が頼りにしていた人やモノとの関係や今後考えられる推移について聞いた。

 

悩みに悩んでいたのとは裏腹に、そんなことはどうでもよいので、放っておきましょう、とのこと。放っておくって?私は今年、人生まるっと変えるつもりなのに! でも、O先生はたじろがない。それはもう放っておきましょう、と静かにきっぱりと言った。私が信頼していた人も、コトも放っておけと。この答えを聞いてほぼ不貞腐れ気味の私に、O先生は続けて言った。いやあもうそんなことはどうでもよくてね、実はこれから大変なことが起こるんです、と切り出した。

 

たぶん死なないと思うけど、大変なことが起こります。それがどんなことかはわからないんだけど、どん底です。ここ数年で最大級のどん底がやってきます。まず6月に少しずつ変化を感じますが、7月8月は生きていられればいいね、というくらいどん底に落ちます。9月にはガラガラポンです。どんなことが起こるかがわからなくて申し訳ない。

 

……あのお。人生最大級のどん底って? 7月8月にどん底で、9月にガラガラポンってなにっ? たぶん死なないと思うけど、っていうのが素敵。生きていられればいいね!って。ガラガラポンの意味が全くわからないけど。

 

O先生は突き落とすだけではない。これでもかこれでもかと励ましてくれるのが、いつものO先生話法である。手相を見ながら、いやあいい線を持っていらっしゃる。大丈夫きっと乗り越えられます。9月を過ぎれば少しはマシになるからね。来年の3月まで我慢だよ。3月には面白いことが起こるなあ。

 

と、まあ6月から9月までは要注意、2018年3月は面白い。執着していることは放っておけ。とノートにメモして退出した。

 

O先生の占いの確度はやはり高い。

 

人生最大かどうかはわからないけど、大変なことは確かに起こった。1年前の検査ではなんともなかったのに、6月1日右胸のしこりはがんと確定。がんになるわ、アテにしていたこともなくなるわで、精神的な落ち込みは半端なものではなかった。

 

7月10日は外出先でぶっ倒れ救急車に乗り、18日入院・手術、8月抗がん剤EC療法開始。と、確かに6月から8月に、今回の治療のハイライトがあり、精神的にも絶不調であった。しかし、9月のガラガラポンがなんだったのか、3月の面白いことがなんだったのかは思い当たることがない。これからわかることなのかもしれない。

 

放っておきましょう、と言われたことについては、結局のところ、放っておくしかなかった。どんなに執着しようにも、抗がん剤の副作用で身動きが取れなかったからだ。

 

抗がん剤、特にEC療法の副作用が厳しいとき、実はその副作用の厳しさが私を助けてくれたのだった。考えたくても考えられない、なにかアクションを起こしたくても動けない。抗がん剤の辛さが、私の思考の暴走を緩やかにしたのだった。体が辛かった時期が、私の心を救ってくれた恰好になった。

 

2017年は損失を経験した年だ。損失に伴う痛みを味わった。でもこの経験から得るものもあった。ふとかけられた言葉や行動の有難さ、ふだんは心に留めないちょっとしたことに、豊かな愛情があったこと。見過ごしていた小さなことのひとつひとつが、心に届いた。

 

やっぱりO先生の精度、確度は高いなあと実感する。6月から始まるどん底に備えることはできなかった。でも、これがあのときO先生が言っていたどん底のこと ?でも私、死なないらしいから大丈夫、と、どこかのんきに過ごせたのは、事前にわかっていたからかもしれない。

 

O先生に報告しにいかなければ、と思いつつまだ行けていない。あれから1年経つからやっぱり会いに行こう。乳がんの治療も終わり、どうやって生活を立て直していくのかを考える指針がほしいと思う。

 

去年の占い行脚については、また書く。インド占星術は特に面白い。

 

 

O先生は、ご自身のサイトなどもお持ちではなく、また連絡先を掲載していいかは確認していないので、ここには載せないことにする。

 

四柱推命 #人生のどん底 

 

信田さよ子さんのコラムを読んで、妹のことを思い出してみたりする夜。

 

信田さよ子さんのコラム

「 孫に執着するばぁばの「狂気」から逃れるためにできること」を読んで

 

このコラムは、孫に執着する祖母の狂気について、その理由についての考察である。信田さよ子さん自身の出産、そして娘さんの出産から導き出されたその考察は、大変読み応えがある。

 

gendai.ismedia.jp

 

このコラムを要約するとこんな感じ。

 

おじいちゃん/おばあちゃんではなく、孫にじぃじ/ばぁばと呼ばせる祖父母が増えているらしい。昔とは異なり、見た目も若々しい高齢者が増え、その呼称の変化から見て取れるのは、老いを認めない姿勢である。老いることの自覚は死への直面であり恐怖を伴う。しかし孫は自分が死んだのちも生き続ける。

 

かつては娘を使って自己実現を叶えようとしていた祖母たちは、孫が生まれれば娘は用済みになり、孫へと移る。孫にばぁばの存在を刻みつけることによって、永遠の命を得ることができるという、狂気にも似た執着でもって、孫に接するようになる。娘たちは、孫まで生んでくれたことを母から感謝されていいし、無自覚に狂気をはらんだ祖母に気を付けなければならない。距離を置いて、利用するときは利用するというスタンスでよい。

 

と、要約してみたが、このコラムで秀逸なのは信田さん自身の出産についての記述である。ここからは引用する。

 

長男を産んだときは帝王切開だったため、産後まる一日経って初めてわが子と対面しました。

そのときの何とも言えない、衝動めいた感覚をおぼえています。長男の顔が、あのサルに似た赤いしわくちゃの顔が、ぴかーっと輝いて見えたのです。

世界ではいろいろなことが起きているし、出産前のあの死ぬほどの苦しみはほんの少し前のことだったにもかかわらず、時間が止まったかのような、あの「現在」しかない感覚が、すべてを忘れさせてくれました。なんてかわいいのだろう、とそれを私は言語化したのです。

まるまる3日間陣痛に苦しんだすえの帝王切開でしたから、たぶん精魂尽き果てていたでしょう。

ランナーズハイのように、拒食状態の女性のように、極限状態に陥ったときに脳内麻薬が分泌されるとしたら、あの形容しがたい瞬間は、一種の快体験だったのでしょうか。

その後それが、しあわせホルモンと呼ばれるオキシトシンの作用だったかと思うこともありましたが、もっと突き動かされるような激しいものだったと思います。

 

 母の快体験を、祖母は追体験する

 

そのときの何とも言えない、衝動めいた感覚をおぼえています。長男の顔が、あのサルに似た赤いしわくちゃの顔が、ぴかーっと輝いて見えたのです」「なんてかわいいのだろう、とそれを私は言語化したのです」。このあたり、凄く生々しい。子供を産んでいない私に、生々しく迫ってくる記述である。

 

そして、信田さんは娘が出産したとき、自身の出産時のこの「快体験」を追体験する。

さらに以下引用。

出先から娘の出産の報を受けて産院に駆け付けた私は、陣痛や出産にまつわる苦労話をひとしきり聞いてから、新生児室に行きました。

そこで、小さなベッドの上で手足を動かしている孫を見たとたん、40年近く前のあのときと同じ感覚に打たれたのです。

目の前の存在を産んだのは私ではありません。私が産んだ娘が産んだのです。しかしなんともいえない、あの突き上げるような衝動に近い感覚が再び私を襲ったのでした。

それからの日々は、我ながらどうかしていると思うほど、頭の中を孫が占領した状態が続いています。

携帯に保存した画像を見て思わずほほえむ、少しでも時間があれば動画をこっそり眺める、といった具合です。

今度いつ会えるかを指折り数えて待ち、会えばもう視線は孫に吸い寄せられて他の情景は目に入らない。その状態は、物狂おしいとしか表現できません。

そしてつくづく思ったのです。孫への思いは「狂気」であると。

 

 

孫への狂気の愛の理由が、こんな風に言語化されたものを私は知らない。生んでいない私が、生んだ人達の子供や孫への濃厚な愛情は、このような体験が支えているのかと思うと、怖いような羨ましいような気持ちになる。知りようがないから。

 

 

命の船を見送って、その先の未来を感じ取る

 

妹のことを少し書く。

 

妹は、特に子供が好きな人ではなかった。だから絶対に子供がほしいと思ってはいなかったし、妊娠したときも自分が母親としてやっていけるかどうか、とても逡巡していた。自分の子供時代があまり幸せなものではなかったものだから、その不幸を再生産してしまうのではないかと危惧していたのだった。

 

出産したという報せを受け、私は病院へ向かった。妹に抱かれた小さくてくしゃくしゃとした赤ん坊を目の前にして、なぜか、生んでくれて有難うと妹に声をかけた。この子は希望だよね、と妹は静かに言い、そして、私、孫の顔が見たいんだよね。この子の子供を見たいの、と続けた。

 

この信田氏のコラムを読んで、やっと、なんとなく、わかった気がするのだ。私が生んでくれて有難うと妹に言い、出産直後に孫の顔が見たいと言った妹の気持ちが。妹も私も、最も命の源に近い状態の赤ん坊を見て、突き上げるような衝動に襲われたのだ。

 

生まれたばかりの息子を抱きながら、孫の顔が見たいと言ったあのときの妹は、それまで自分だけで完結していた世界から、息子という命の船をこの世に送り出し、その先に続く未来をうっすらと、でも確実に、感じ取っていたのではないかと思う。自分の命が続いていくという手ごたえと、さらに先へと続いていく予感とともに。

 

生まれたばかりの甥を見て、命が続いていくことを本能的に理解した私であったが、子供を生んでいないからか、この先へと続くはっきりとした実感がない。いつも自分のことできゅうきゅうとして、どこまで行っても自己完結した世界に居る。それに比べ、妹は息子という命の船を出航させるという、偉業を成しえた。その点だけは絶対に、永遠に、敵わない。

 

妹は、小学2年生の息子を残して逝ってしまった。せめてこの子が20歳になるまでは生きたいと何度も何度も願ったが、それは叶わなかった。

 

でも命は続く。船を乗り換えて、さらに先へと、いまは漕ぎ出でな。

 

 

信田さよ子 #現代ビジネス