ジコカイジ

self-disclosure‐‐‐乳がんのこと、仕事のこと、生き方のことを書いていく。

私のがん保険が消えた日

嫌な予感。

 

私が20歳になったばかりの頃だった。帰宅すると、母と母の古くからの友人Yさんがいた。私が帰るや否やいきなり母が、あんた印鑑持ってきなさいよ、と言う。は?なんの話よ?いつものことながら、母は話の起点をはしょるので、印鑑持ってきて、の意味が全くわからない。 

 

話しを聞いてみると、母の旧友のYさんは、保険外交員だという。私がまだ生命保険に加入していないことを知り、勧誘しにきたのではない。母はすでにYさんに私が保険に加入することを約束していた。私になんの説明も、ことわりもなく、申込書類は用意されて、あとは私が印鑑を押すだけになっていた。嫌な予感しかしない。

 

私は抵抗した。たしかに生命保険には入ろうとは思う。ただ、何の下調べもしていない。自分の納得できる内容、信頼できる保険会社の商品に入りたいと精一杯抵抗した。

 

しかし母の懇願、いや攻撃は手を緩めない。ちーちゃんお願いよお願いよ。Yさんに無駄足させるわけにいかないじゃないの。あんたのためを思ってママ、お願いしてるのよ。

 

泣く子と地頭には勝てないなんてもんじゃない。私が抵抗すればするほど、お願いよお願いよちーちゃんあなたのためを思って言ってるの。お願いよ。どんなに振りほどいても泣きついてくる。壊れたレコードか。

 

根負けして渋々、契約書に印鑑を押す。おめでとうございます、これではじめての財産ができましたよとYさんが微笑む。一連の茶番を馬鹿馬鹿しく思ったが、ひと月の保険料は5千円程度であり、がんと診断されたら100万円が支払われるがん特約も付いていたから、まあよしとした。

 

1999年から2000年までイギリスでふらふら遊んで帰ってきた私は、家を離れ独立していた。帰国後なかなか就職先が決まらずに、バイトでギリギリの生活を送っていた。

 

保険会社倒産。私の保険が消えた。

 

その頃、保険会社倒産のニュースが相次いでいたのを覚えているだろうか。2000年のことだ。私が加入していた保険会社も破綻、倒産した。

 

すぐさまYさんに連絡をした。私が加入した保険はどうなるのですか? 保障はどうなるのですか? おそらく一日中そんな電話ばかりかかってきては、責められていたのだろう。Yさんの言葉は思いがけないものだった。そんなこと知らないわよ!恨むなら加入させたお母さんを恨むことね! 電話は切れた。おめでとうございます、これではじめての財産ができましたよとあなたはにこやかに笑いかけたではないか。では私は財産を失ったのか?言おうと思っていたことを言う間もなく切られてしまった。

 

その話しを母に報告すると、こんなことになってしまって…ごめんなさい…でもちーちゃんのためを思って、良かれと思って…良かれと思って…としおれている。

 

母が良かれと思ってしてくれたことが、私や妹を救うことはほとんどなかった。良かれと思って、というのは私や妹の利益だけを考えてのことではなく、多くは人にいい顔をしたいときに、ダシに使うからである。この保険に無理やり加入させたのも、友人のYさんの成績を助け、いい顔をしたかったからなのだ。

 

その保険会社は外資系保険会社に買収されたのち、保険商品の引き継ぎをしますよ、という書面が郵送されていたらしい。その書面は母のいる自宅に送られて、そのままにされた。私が気がついたときにはすでに引き継ぎ期間は終了していた。どこまでもタイミングが合わない。

 

そして2001年、私は乳がんになった。無保険だった。治療費と生活費は貯蓄を崩して支払ったが、住民税や年金などは支払う能力がなかった。はじめて免除を申請した。

 

母はかわいそうな人である。私に責められ怒られ、しかしそのときの母は事業は傾き、私を援助したくてもできない状態だった。

 

秋になり、幸運にも仕事を得た。病み上がりで勤まるのか不安だったけれど、生活を立て直すことができることの希望や、喜びのほうが大きかった。救われた気持ちだった。

 

 

お金がすべてではないけれど、経済的余裕が人生の困難を何割か減らす。

 

なぜか、母が離婚したときにことを想い出した。

 

離婚後、祖父母が私たち親子の家に頻繁に来てくれるようになったときのことだ。毎回何か手土産を持ってやってくる。あるときお米を数キロ持ってきたとき、離婚して傷ついている娘に米持ってくるなんてどうかしているわ!普通はお花でも持ってくるものよ!と叫んだ。その後祖父が切り花を手土産に来たとき、お花じゃ生活できないのよ!お父さんなんでわかってくれないのよ!花を持ってこいと言われてそうしたのに怒鳴られて、祖父母はお気の毒だ。しかし母の真意を本当はわかっていたのに、あえて汲まない方向を選択していたのか?とも、いまは思う。 早い話が、つまり母は、祖父母からの経済的な援助を欲していた。しかし祖父母はそれを無視していたのだ。

 

私は母からの援助を求めたことはない。でもこれから手術入院、抗がん剤治療と進み、仕事もない、お金もないというときの心細さ、やるせなさはなんともいえないものだ。離婚後、小さな子供をふたり抱えた母の心細さと比較できるものかわからないが。

 

経済的な余裕があるだけで、人の困難のすべては無理だが何割かは減らすことができるのだと、4歳の私は結論を得た。

 

がん保険はかけ捨てでもよいので加入をおすすめする。また、何年かに一度保障内容の確認を。商品開発はどんどん進んでおり、自分が入っているものから乗り換えることも考慮してほしい。自分で調べ、熟考してから加入すること。

 

 

 

保険会社の方とタッグして、こんなお話をしてみたいです。

ご興味のある方は、mumthewords@gmail.com へご一報ください。

 

 

 

三島由紀夫も私も動物占いでは、ひつじである。

 

三島由紀夫が言った、自分のために生きるのは飽きると。

 

三島由紀夫のインタビュー動画を見た。

 

www.facebook.com

 

敗戦して世界は終わると思っていたのに、なにも変わらなかったことの驚きと戸惑いを、そして、なんのために生きるのかを語っている。

 

人間は理想なり何かのためということを考えているので、自分のためだけに生きることにはすぐ飽きてしまう。そうすると死ぬのも何かのためということが必ず出てくる。

 

この部分の発言を聞いて、三島は自分のために生きているよりも、他者の求めに応じて生きることを欲しているのだなと思った。動物占いでいえば自分軸ではなく、他人軸で生きているグループのはず、と調べてみたら案の定、ひつじであって、私と同じだった(笑)。三島も私も、他人軸の人なのである。

 

三島由紀夫の誕生日は1925年1月14日。

www.doubutsu-uranai.com

 

私は三島の純文学作品として書かれたものよりも、一般週刊誌や女性誌などの求めに応じて書かれた中間小説のほうが好きだ。たとえば近年注目されている「夏子の冒険」「美しい星」「命売ります」など、その時々の時勢、流行りなどを巧みに盛り込んだものが好きだ。

 

日銭稼ぎ、そして晩年は楯の会の活動資金のために中間小説を書いていたのだろう。だけど、そんな作品の中にも三島の想いがそこかしこに横溢している。古典への深い造詣と憧憬、高度経済長期の社会情勢、ファッショナブルな装いや時流を表すような職業などを散りばめながら、面白おかしく読み飛ばさせる。しかし、どこまでいってもやはり三島由紀夫の精神性を深く感じさせるのだ。求めに応じて書いていきながら、自分の想いをそこに反映させることができた作品、それがいま再評価されているのも愉快だ。

 

他人軸で生きていけるけど、本当の自分も抑えられなくなって、縦の会に突っ込んでいって、引き返せなくなってしまったのかなと私は想像する。

 

 なにが言いたいかというと、三島も私も、他人軸で生きるひつじのくせに、自分をこらえ続けていくのが辛くなってしまうという、面倒くさいタイプだなと思うのである。もっと割り切ってやりなさいなとよくアドバイスを受けるのだけど、自分なりに割り切って、堪えてやってきたつもりなのだ。しかしその状態を続けていくのが難しいのだ。

 

器用に割り切ることができないなら、かえって、自分を堪えないと決めてしまうのもいいのかも?と思う。いま、少しだけ自分軸にシフトしてやってみたいこと、というか、いまの自分にできることを考えている。

 

自分軸にシフトの一環が、がんサバイバーとして講演・執筆活動だったり、谷崎潤一郎研究者として、街歩きなどのイベントを企画してみたりだったりする。最初は誰も来ないかもしれない。でもある程度は続けてみようと思っている。自分軸の世界を経験するために。

 

 

 

乳房温存療法を広めた、ふたつの乳がん患者会の終焉 

特定のがん種だけの患者会から、がん種を超えた会へ

 

今朝ネットニュースを見ていたら、目に入ってきたこの記事。毎日新聞2018年9月25日東京朝刊に掲載されたものらしい。

mainichi.jp

 

あけぼの会は1978年創設された、おそらく乳がん患者会でも古参の部類の患者会である。乳がん患者のための相談会や勉強会、講演、ピンクリボン運動への協力など、乳がん患者会の最大勢力だったと思う。その会長を勤められたワット隆子さんが、あけぼの会を勇退されるのだという。

 

しかしこの20年ほどの間に、多くの患者やグループが設立された。これまで患者会というと、がん種に限定したものが多かったが、近年ではがん種を超えて会を結成し、活動するものが増えている。

 

私も参加したがんサバイバースピーキングセミナーの主催は、NPO法人キャンサーネットジャパン。あらゆるがん種のサバイバーが集まり活動している。(もちろん、個別のがん種に絞っての勉強会なども盛んにおこなわれている)。自分とは異なるがん種の人と知り合い、お互いの体験を語り合うと、治療法や経過はまったく異なっているのに、抱える問題や悩みは同じであることを発見し共感でき、助け合うことができる喜びがある。心やすらぐ時間を持つことができる。

 

私がこれまで患者会やグループに距離を置いていた理由

 

私がこれまで、患者会には距離を置いていたのは、私が乳房温存療法で手術したからである。2001年当時、まだ乳房温存療法は黎明期を迎えていたばかりであった。温存術自体は急速に広まっていたが、まだ温存することへの偏見(大きく切ったほうが再発しない、生存率が高まる)があった。

 

うちでも温存手術できますよ、と医師が言ったとしても、その医師もしくは病院や医局が取る温存法が、くりぬき法か扇状に皮膚ごと切り取るものかによって侵襲性も整容性も異なる。だから、患者が考える温存とはまるで違った仕上がりになってしまうこともあったし、いや、きっといまでもあるんだと思う。

 

以前、大阪から逃げてきたKさんの話を書いたけれど、彼女はまさにそれ。温存療法だから大丈夫、と言われ、手術間際になって、扇状に皮膚ごと切り取られると知り、近藤誠医師のもとに逃げてきたのである。あ、それ私もだった(笑)

 

exgirlfriend.hatenablog.com

 

放射線治療は、慶應放射線科に通ったのだけど、ここでちょっとしたイザコザが起こることがあった。慶應の外科で手術した乳がん患者と、私たち、近藤誠と愉快な仲間たちのもとで手術した乳がん患者が、長い長い待ち時間のあいだに、親しく話し込んでしまうときに、私たちが温存手術をしたことにおよぶと、え?胸って残せるの?あなたの胸は残っているの?と聞かれるのだ。そのときの気まずさ。私の話ではないが、温存できたかもしれないと泣きだす人もいたそうだ。

 

で、そんなこんなを話しているときである。慶應で手術した患者さんに、患者会に入りたいなー、あけぼの会とかどうかなー?と軽い気持ちで聞いてみた。するとその人は、私はあけぼの会には向いていないというのである。どうやらワット会長は、近藤誠と犬猿の仲であり、温存療法をした患者に厳しく、全摘をした患者さんたちに温存の話をしてはいけない、と言われているらしいのだ。

 

これは全くの伝聞で、確かめるすべはなかったし、なによりすっかり気分が萎えた。そして、患者会に距離を置いておいた方が面倒くさくなくてよい、という結論に達した。

 

ソレイユとイデアフォー、ふたつの患者会の終焉

 

とはいえ、私がどこの患者会とも接触しなかったわけではない。ソレイユとイデアフォー、このふたつの乳がん患者会には、電話相談などでお世話になった。

 

温存療法を受けた患者は、あけぼの会では歓迎されないという伝聞は、どうやらソレイユの会長だった中村道子さんの体験から来ているようだと知ったのは、ずいぶん後のことである。

 

村道子さんはそもそもあけぼの会で活動されていたが、温存療法の勉強会を企画し近藤誠医師を招聘したところ、あけぼの会を除名させられた、という事件があったのだそうだ。それが先ほどの伝聞の元となったわけである。それが1988年のこと。近藤誠医師に限らず、あらゆる立場、主張を持つ医師をおよびし情報収集や勉強を怠らない姿勢を貫かれていたが、2013年に活動は終わられている。

 

そのいきさつを中村さんが語られている記事。

社団法人 仏教情報センター テレフォン相談

 

 

イデアフォーも、2018年8月いっぱいで活動を終えた。イデアフォーは、乳房温存療法を広めたこと、また、患者も常に最新の研究情報をキャッチアップしていくことを推奨していたのが新鮮だった。本気で乳がんのことを学び、そこで得た知見を患者に還元していくという強い意志があった。

 

ただここ数年、患者会の在り方が変わってきていることは事実である。マギーズ東京、暮らしの保健室、元ちゃんハウスなど、がん種を問わず、また、患者のみならず、患者の家族や友人まで視野に入れた活動し、場を提供するグループが増えている。門がより広く開けられており、とても自由で、安心感を与えてくれる。時代が、本当に変わったんだなという思いである。

 

ソレイユもイデアフォーも、どちらの患者会も活動を終えた。治療に迷う乳がん患者のために情報を提供し、応援し続けてくれたことには感謝しかない。2001年、まだがん患者であることをカミングアウトできなかった私にとっては、唯一、自分の知りたいこと、悩んでいることをぶつけられる場所だったことは、これからも忘れることはない。

 

 

 

笑顔が可愛らしい中村道子さんのインタビュー記事。

www.cocolotus.com

 

2018年8月いっぱいで活動を終えられたイデアフォーのサイト。

まだ見ることができる。

www.ideafour.org

 

少し古いですが、患者会についての考察論文です。

「医療施設内における乳がん患者会の存在と役割」2003年

https://researchmap.jp/?action=cv_download_main&upload_id=79966

 

あけぼの会

あけぼの会- HOME

 

2018年9月、預言カフェ再訪。

今日、大雨の中、赤坂の預言カフェを再訪した。1年ぶりだ。

 

exgirlfriend.hatenablog.com

 

平日にもかかわらず、ほぼ満席。店内を見まわすと預言するスタッフ2名がフル活動中である。オーダーしたのは預言ブレンド850円也。注文するやいなや、預言してくれるお姉さんが着席され、スマホのボイスメモを立ち上げると、いきなり預言開始だ。コーヒーまだ出てきていないけれども…

 

預言は必ず録音することを推奨される、というかマスト。そして聞くだけでなく、書き起こすことを勧められる。

 

 

 

 

主は言われます。我が愛する娘よ。

 

私はあなたを喜んでいると主は言われます。あなたの強さを喜んでいると主が言われます。あなたの内側にある凛とした、その一本芯が通ったような強さというものを、私はいま見ていますと主が言われます。

 

あなた自身のその強さは、不可能を可能にしていく、また人々を引っ張り、人々がその前進することができるようなところに、使われていくでしょうと主は言われます。

 

ここぞというときに、強さを発揮し、あなた自身が物事に対して、人々に対して、良い結果へと導いていくようなところにも、あなたは立っていくと主は言われています。どんな所へ行ったとしても頼りにされる、そのようなものを持っていますよ、と主は言われます。

 

あなたがいままで、一歩一歩、あなたが進んできた、その一歩一歩の中に、あなたは学ぶべきものを学び、また身に着けるべきものを身に着け、また成長させるべきところにあなたは立ち、あなたが忠実さを持って歩んできた、そのことを私は見ているから、と主は言われます。

 

それらが本当にあなたの固い土台を作り上げ、あなたはそれをちゃんと自分のものにしているということを知ってほしいと主は言われます。長い年月をかけて、あなたが作り上げてきたものは、本当に価値あるものであることを、これからあなたに見せると、主は言われます。

 

一日や二日で、あなたがそれを手にしたものではなく、長い月日をかけて、あなたが築き上げてきたものは、本当に価値あるもの、すぐれたものですと、主が言われます。

 

またこれからも、人生の中において、より挑戦していく心を与えると主が言われます。ですから、新しいものに対して、ますます目を留めてください。自分にできるのだろうか、あなた自身が怖れたり、また不安になったり、でもそのような不安や怖れを取り除いて、ますます情熱を注ぐと主は言われます。挑戦していく心が、よりあなたの領域を広げ、ますますあなた自身の、その目標がより高く掲げられていくようなところにも立っていくでしょうと主が言われます。

 

また、すごくあなたが物事に対して、心配しすぎているものや、複雑に見すぎてしまっているものを、いま取り除くと主は言われます。もっともっと簡単に、あなたが物事を理解することができるように、いろんな角度から物事を見て、ああこれはこういうことだと、しっかりと把握していくことができるように、私はいま、複雑にしすぎたり、または考えすぎたりしているものを、いま取り除いていくと、主は言われます。

 

もっともっと楽に、物事を見、ああこれはこうすればいいんだ、これはこういうことだと、あなたが理解すべきものを理解して、進んでいくことができるようにと、私はあなたの考えにも触れていく、と主が言われます。

 

また、なにか時々、違った場所にも行く、なにか楽しんでいく、そのようなところにも私は扉を開くと、主が言われます。ですから自分でも思ってもみないときに、あなた自身が行きたいと思っていた場所に行ったり、またはやりたいと思っていたものに扉を開いていくように、いままでとは違ったなにか、その歩みがあなたに与えられていくでしょうと、主が言われます。やりたいのだけれども、行ってみたいのだけれでも、見てみたいのだけれども、聴いてみたいのだけれども、なかなか時間があなたに与えられなかったり、チャンスがなかったり、なにか時間だけが経ってしまっていたものに対して、これからもっともっと、あなたはこれから挑戦し、もっともっと扉を開いて、実際に味わっていくところに、あなたを押し出すと主が言われます。ですから思ってもみない、想定外のとき、私はより、あなたが心の中に温めてきたものや、考えてきたものに対して、実際に扉を開いていきますよ、と主が言われます。

 

あなたの存在が、人々の中にあって本当に喜ばれている、それもあなたに見せると、主は言われています。あなたが思っている以上に、人々はあなたに助けられていますよと、主は言われます。目に見える嘘や、耳から聞こえる嘘に、心を合わせてはいけないと、主は言われます。私はあなたの存在そのものが、本当に人々に喜ばれるものとして、また人々の中にあって、場所が用意されるものとして、ますます私はあなたにそれを与えていくと、主が言われます

 

 

本当に不思議な預言カフェ。私の外見、持ち物等からの情報しかなく、コールドリーディングできるものかどうか??? もちろん訓練はされているとは思うけれど、名前や生年月日などの個人情報がないまま、4分以上、預言し続けるって、結構すごいことでは。

 

今回ドキッとしたのは、心配しすぎ、って箇所だろうか。心配しすぎかなあ。

 

いまどうしても決断できないことがあって、やるかやらないか、続けたいかどうか、それだけじゃない?と友人に言われた。本当にその通り。そこまで言われても決断できない。いま本当に仕事のあてがなく、気が狂いそうなのだ。ここで秋学期の学費を払うか否か、それで生活がいますぐどうにかなるわけではないが、判断を鈍らせるに足る。預言は背中を押しているようだ。でもいま自分を信頼できるか材料がない。

 

預言とは、スタッフの方が主(神)からの言葉を取り次ぐ、という形でひとりあたり大体4分ほどのことばをいただくというスタイルである。

 

ここで「主」と言われている人は、「私」なのだなと、預言を書き起こすとわかる。私が、自分の強さを信じ、不可能を可能へしていく。私が学んできたことは価値があることでありもっと誇ってよい。そしてもっと人生に挑戦していくべきであり、心配や怖れを除き、もっと楽観的に生きろ。いままで出来なかったことをしろ。行け。味わえ。自分を信じろと。

 

預言は、主が~してあげるよ、ということではない。主語は私なのだろうと思う。私が行動することを促しているんだと解釈した。

 

今日はもう自分を辞めたい気分だったけど、預言書き起こしたら少し救われた。まだ自分に留まろうと思う。でも決断できない。

 

 

 

母校の先輩・樹木希林さんを想う 破壊への憧憬と仏性を併せもつ魂へ

 

破壊への衝動と憧憬を持った人だった。

 

樹木希林さんが亡くなった。最近、訃報それも乳がんで亡くなる方が多いような気がするのは気のせい?

 

昨日の訃報以降、一連の報道では、自分らしく正直に生きた人という人物像が語られているが、実に表層的過ぎる。樹木希林さんは、破壊への衝動と憧憬を抱えた人である。

 

特に彼女の女優業を鑑みると、初期の「寺内貫太郎一家」「時間ですよ」「ムー一族」など、予定調和や常識、定式を破壊する役柄を好んで演じ、晩年はテレビドラマから映画へ主軸を移し、「あん」「人生フルーツ」「万引き家族」など良作でありかつ、問題提起を促すようなものにトライしている。

 

そしてなぜか今回の各報道の中では全く触れられていないが、内田裕也氏とは実は再婚であり、最初の夫はあの怪優・岸田森であることは彼女を語る上で忘れてはならない。

 

女優として選ぶ役柄も、こちらの予測や期待を裏切ったり超えたりするオモシロ発言も、そしてパートナーも、規格外の、予定調和や常識を破壊することを求めた人だった。

 

「全身がんなんです」という自身の病気についての発言もそうだ。彼女独特の文法で、淡々と語られているため、なんとなくわかったような気にさせられているが、実は結構アグレッシブなことを言っているな、と思っていた。2005年に右乳房を全摘し、その3年後に腸、副腎、脊髄に転移。今年に入って骨へも転移していたという。飄々と言ってはいるが、こちら側の日常に「病」や「死」を真正面から持ち込んでくるあたり、実は確信犯だ。そしてこの宝島社の企業広告だ。がんに罹患していることを逆手に取って、こちら側にぶっこんでくる。病気とは死とは命とはなにかを考えろと。

 

 

しかし樹木希林さん以上に、破壊への衝動を持っていたのが、内田裕也氏だったのだと思う。彼女は内田氏のことを「透明感と魂の美しさを持っている人」と評している。しかし、離婚届を提出されてもそれを差し止め、暴力を振るわれても結果としてそれを許し、なぜ頑なに別れることを拒んだのか。透明感と魂の美しさだけではあるまい。内田裕也の中に自分の破壊衝動を超えるカタストロフがあることに憧憬し続けていたのではないのかと、私は密かに推測している。

 

若気の至りもたいがいにしてほしいが、そういう時代だから、これでよいかと。

 

同窓会での樹木希林さん

仏性を見つけて、生きる。

 

今年5月、母校・千代田女学園の同窓会があった。これまで同窓会というものにはついぞ出席したことはなかったが、創立130周年記念であったこと、また女子校から共学/国際バカロレア校へと生まれ変わったこと、そして樹木希林さんが記念スピーチされるということで、親友とともに参加した。

 

ここ数年、母校は生徒募集に苦しみ、驚くほど縮小され存続の危機にあった。そののち姉妹校である武蔵野学園に吸収され、大改革を実施したその直後の同窓会ということもあって、樹木希林さんの記念スピーチは学校の今回の顛末・変転をユーモアを交えて語り、話は母校への想いについてもおよんだ。

 

(前略)

私は、ある時代にあの学校に通わせていただいた根底に、私自身はめちゃめちゃな人生を選びましたが何の悔いもない。それを支えたのはやはり千代田女学園という仏教を基にしたあの環境というものが、如何に役に立っているか。『みほとけは何処に居ますと尋ねれば、尋ねた人の胸の内に、周りにという返事』そのようなことを何も言わなくても自然と受け入れられる生徒を沢山作れたことは、もっと胸を張っても良いのではと思うんです。とは言っても男女共学になりましたが、今後も西本願寺系の仏教系の学校の特徴をいかしてもらいたいなって思います。(後略)

藤花 第64号より

 

このとき、ああやっぱり、とこれまで私の中でなんとなく結んでいた樹木希林像に、少しだけ手触りを感じるような気がした。樹木希林さんの言動には、仏教的な色彩があると思っていたからだ。

 

仏教校で学んでいたから仏教的な色彩を帯びていると短絡的に思うのではない。樹木希林さんのお父様は、薩摩琵琶・錦心流の中谷襄水であった。薩摩琵琶の中でも錦心流は優美なものだそうだが、琵琶といえば琵琶法師、そして平曲「平家物語」というように、仏教の教えを基に、人生の隆盛と破滅を語るものが多い。日々耳にする勇壮な薩摩琵琶の音色と歌が、人生に起こる出来事や人の変転することの悲しみや儚さ、諦念を教えた。そして破壊への衝動と憧憬とともに、晩年の仕事や生活をふくよかなものにしていったのではないかと、というのはうがちすぎだろうか。

 

内面から湧き上がる衝動に逆らわず女優として生き、自身を上回るカタストロフな男を夫に持ちながら、それでも人生を統御できたのは、樹木希林さんの中にある仏性ーー「みほとけは何処に居ますと尋ねれば、尋ねた人の胸の内に、周りにという返事」ーーこそなのではないか。自身の中に、そして目の前の人に宿る仏性を信じたからこそ、成し遂げられた人生だったのだと思う。破壊と仏性という、一見不釣り合いなものが巧くワークし、彼女を活かした。「めちゃめちゃな人生を選びましたが悔いはない」という発言は本心からだろう。

 

樹木希林さんは同窓会に最初から最後まで臨まれ、みんなで校歌を歌い、記念写真に納まった。病と死、老いることを見せてくれた私のワイルドで、カッコよくて、クレバーな確信犯の先輩の魂へ祈る。

 

 

 

 

 

◆<学校での講演>全国どちらにでも無料でうかがいます◆

 

がんについて、患者の立場からまた、遺族の立場からお話しできることがあります。

 

治療のこと、死を受け入れること/見送ること、働くこと、カミングアウトすること、アピアランスケア、治療費のこと、保険のこと、患者と周囲のコミュニケーションについてなど、2度の乳がん乳がんで妹を見送った経験からお話しできることがあります。呼んでいただければ全国どこへでも伺います。内容や時間もご希望に合わせます。

 

交通費はご負担いただけると有難いですが、東京から日帰りできる範囲であれば、交通費がなくても結構です。学校以外での講演、お茶会は、会の趣旨などをお教えください。前向きに検討させていただきます。

 

ご連絡先 mumthewordsアットマークgmail.com 

 

 

 

仕事がないのはがんのせいじゃない。これまでの自分への通信簿だ。

弱音を吐くのはよくない。テレフォン人生相談加藤諦三は、弱音を吐いたり、自分の不遇を嘆くのは、形を変えた攻撃性の表れだと言っていた。確かにそうだ。

 

8月頭に仕事してから、これまで全く仕事がない。営業したりしても、ない。だからこんな頻度でブログを書いているわけだ。ヒマだから。

 

この1年、治療していたから仕方ないな、と思っていたけれど、そのせいばかりでない。これは、がんになったから仕事がないのではなく、そもそも私という人間への評価なのだと思う。私の仕事ぶりに問題があるか、もしくは能力が低いからか、その両方。だから仕事がないのだ。

 

治療中で体がもっとも辛いときも、治療が終わるときのことを考えて、アピールしたり、具体的に営業したりしてきた。でも仕事はない。仕事がないということは経済的な問題だけではなく、私という人間の存在理由も揺るがす。社会から必要とされていないことをしみじみ感じる。

 

この無聊をどう鎮めればいいのか。役立たずの私にはわからない。

 

 

 

 

あの日、私に乳がんの手術跡を見せてくれた人へ

前回の記事で、2001年 9月11日に乳がんの告知を受けたことを書いた。

 

exgirlfriend.hatenablog.com

 

9月11日からは怒涛の日々。この週には、セカンドオピニオン慶應の近藤誠のところへ行くと言ったら、絶対10年後生きていないから!と怒声を浴びせられ、その翌週には近藤外来から神奈川県のO病院A医師のもとへ送り込まれ、9月30日には入院していた。告知~セカンドオピニオン~転院~さらに転院(というか手術と抗がん剤放射線のダブル主治医体制の確立)~手術、というジェットコースターに乗ったかのような20日間だった。

 

当時のO病院は、まだ乳腺センターもなく、かろうじて乳腺外科?と名乗っていたかと思う。乳房温存療法黎明期であり、大げさではなく、日本全国から温存療法を希望する女性が詰めかけていた。私もそのひとりだった。

 

A医師は、近藤医師と組んで、日本で最初期に温存手術をした医師のひとりといわれており、2000年代初頭にはすでに多くの術例を持っていた。私が待合室で出会った女性は、10年ほど前に温存手術を受け、最近になって乳房内再発を起こし全摘出をすることを勧められていた。そしてその人は、乳房再建するか否かを悩んで、何度もA医師の説明を受けに足を運んでいたのだった。2001年当時、乳房再建には保険は適用されておらず、実費を捻出できるかどうかで悩んでいる患者も多かった。温存手術をしたくてここまで来たけれど不安を払拭できないと私と、再建するか否かで答えを出せない人。待合室の長椅子の隣同士に座ったふたりは、長い待ち時間にお互いの物語を話した。

 

 

私は、絶対にくりぬき法での温存手術を受けると決めて、慶應の近藤外来からO病院のA医師のもとに来たものの、不安を払しょくしきれないでいた。くりぬき法で手術したい、という強い希望でここまで来たものの、本当のところはどうなるのか?ということがわからなかったからだ。その人は経済的なこともあるけれど、そこまでして再建するかどうかについて、ずっと答えを出せずにいた。しかしその日にA医師に返事をしないといけない、タイムリミットだったようだ。そんないきさつをポツリポツリと話してくれたその人が、急に、声のトーンを上げてこう言った。

 

いま決めたわ。私、再建手術受けることにする!再発したこと、全摘することは凄いショックだけどね、でも、朝起きたとき、ブラジャーに自分の胸があるだけで、私、立ち直れると思うのよ。

 

34歳の私は、そのきっぱりと、晴れ晴れとした宣言の目撃者となった。その女性は、いまの私くらいの年齢だったと思う。年齢はまったく関係ないんだ!ということが、心に響いた。女性として、ひとりの人間として、がん治療に向き合い、そして術後の生活を乗り越えていくその人の決心に同意した。

 

そののち急に、ねえちょっと。と、その人が私を女子トイレに引っ張っていった。温存手術するんだよね?どんなだかわからないから怖いんだよね?と言うやいなや、ブラウスをまくり上げて、彼女の温存した乳房を私に見せてくれたのだ。乳房の曲線に沿ってすーーーと一筋の細い線が走っていたが、乳房はフォルムを完全に留めていた。

 

大阪から逃げてきたKさんも、私も、見ず知らずの女性が見せてくれた手術痕のおかげで、迷いなく手術に臨むことができた。Kさんの場合は大阪から逃げるきっかけを、だけれど。

 

Kさんのことはこちらの記事参照。

exgirlfriend.hatenablog.com

 

 

がんになってから、さまざまな出会いがあった。なかでも、O病院の待合室で出会った、名も知らぬ人の親切に今でも感謝している。あの方、いまどうされているだろう。お元気だろうか。気が付かないだけでO病院ですれ違ったりしているのだろうか。

 

本当に有難う。

 

 

 

◆<学校での講演>全国どちらにでも無料でうかがいます◆

 

がんについて、患者の立場からまた、遺族の立場からお話しできることがあります。

 

治療のこと、死を受け入れること/見送ること、働くこと、カミングアウトすること、アピアランスケア、治療費のこと、保険のこと、患者と周囲のコミュニケーションについてなど、2度の乳がん乳がんで妹を見送った経験からお話しできることがあります。呼んでいただければ全国どこへでも伺います。内容や時間もご希望に合わせます。

 

交通費はご負担いただけると有難いですが、東京から日帰りできる範囲であれば、交通費がなくても結構です。学校以外での講演、お茶会は、会の趣旨などをお教えください。前向きに検討させていただきます。

 

ご連絡先 mumthewordsアットマークgmail.com 

 

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